IJA, Self-propelled 10 cm Canon Type 6 "KA-TO-U"
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図はU型最初期型 |
◇要目◇
「六式一〇センチ自走加農砲」/ホリU
■自重:38t ■全備重量:46t ■乗員数:5名
■全長:9.5m ■全幅:3.05m ■全高:3.4m ■履帯幅:0.6m
■発動機:BMW水冷V型一二気筒ガソリンエンジン改/550馬力
■最大装甲厚:85o(砲塔)/75o(車体)
■武装:九二式一〇五ミリ加農砲(口径) 1門(74発)
四式一三・二ミリ車載機関砲 1門(200発)
四式七・七ミリ車載機関銃 1門(2000発)
■最大速度:時速45q
■航続力:200q
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一九四〇年、第二次欧州大戦は英国陥落によってドイツ第三帝国の勝利で終結した。その結果、日英同盟を維持する日本は否応なく対独戦を意識せざるを得なくなった。
そこで日本陸軍は“世界最強”の異名を持つドイツ機甲部隊に対抗するため部隊の近代化を積極的に進展させることになる。
一九四〇年代、予算面で陸軍は海軍と違い常に満足のいく額を確保できなかったものの、乏しい予算をやりくりして新型車両の開発を熱心に行った。こうして完成した新型車両の一つが、この「六式一〇センチ自走加農砲」である。
「六式一〇センチ自走加農砲」──通称「自走十加」は、五年前に採用された「一式七・五センチ自走砲」の後継車両といってよいもので、「五式中戦車」の車体に「九二式加農砲」の車載型を乗せたものである。
本来、自走砲はその機動力を生かして機甲部隊を後方から支援するのが役目である。しかし、支援火砲どころか戦車自体まともにない(日本陸軍は戦車部門において画期的な新戦車──「九式機動戦車」が登場するまで独逸と比べ質的にも量的にも相手にならなかった。そのため、陸軍のドイツ戦車に対する恐怖症は強烈だった)日本陸軍は、出来得るなら、何にでも使うことが出来る万能車両が欲しかった。
話がおかしくなりだしたのはここからで、計画当初は純粋な自走砲であったにもかかわらず、完成した試作一号車には一〇センチ加農砲の他に三七ミリ対戦車砲や連装二〇ミリ高射機関砲が備えられており、ご丁寧に加農砲用の直接照準器まで取り付けられていた。つまり、「六式一〇センチ自走加農砲」は通常は自走砲として使うけれども、いざというときには自走対空砲としても、突撃砲としても使えて、とどめに対戦車自走砲としても利用できる車両として完成していたのである。
もちろん、こんな机上の空論がまかり通るはずもなく、試作車両は完全な失敗作となってしまった。
結局、装備を簡素化したU型があらためて設計され、砲撃のみのごくふつうの自走砲として生産されている。
実戦に投入された同車は他国の自走砲と比べて射程で勝り、非常に有力な兵器として活躍した。ただし、15センチクラスの重砲と比べて威力に乏しいことが最大のネックとなり、第三次大戦休戦と同時に全ての車両が廃棄・売却されている。
参考資料/「日本の戦車」 原 乙未生 栄森 伝治 竹内 昭 著 出版協同社
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水上 拝