75mm Fieid Gun Type 90
九〇式野砲 〜日本陸軍の標準野砲〜
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砲種 |
口径
(mm) |
放列砲車重量
(kg) |
高低射界
(度) |
方向射界
(度) |
初速
(m/s) |
最大射程
(m) |
弾種 |
九〇式野砲 |
75 |
1400 |
-8〜43 |
±25 |
680 |
14000 |
一式徹甲弾その他 |
■その出だし −採用までの経緯−
日露戦争が終結した明治38年(1905年)、日本陸軍はドイツのクルップ社で設計された野砲を採用した。これが有名な三八式野砲である。日露戦争によって近代火砲の威力を体験した日本軍は“次の戦争”に備えるため優秀な野砲を必要としており、三八式野砲は次世代陸軍の主力野砲として活躍することを期待されていた。
しかし、運の悪いことに同砲は陸上砲兵器開発史における過度期の代物であった。砲身後座方式(注1)こそ採用してはいるものの、開脚式砲架(注2)では無かったのである。そして、三八式野砲のライセンス生産によって砲兵工廠の拡充をはじめとするインフラ整備を整えた日本は「野砲の生産」という分野で欧米から軍事的脱却に成功したものの、三八式の生産が軌道に乗りだした頃には第一次世界大戦が勃発する。
当然な事だが、「総力戦」と言われる大戦争で、自国の勝利のために欧米各国は次々と開脚式の新型砲を採用・生産を開始したのである。これによって三八式は、採用後九年という僅かな期間で陳腐化し、旧式兵器となってしまった。
陸軍では、三八式野砲の配備によって砲兵部隊の一新を行うという計画を抜本的に見直す事にならざるを得なくなる。
- 注1:砲身後座方式
- 射撃時の反動を砲身が後退することで吸収する方式の事。それまでの大砲は砲身と砲架(土台のこと)が固定されており、射撃時の反動を大砲自らが後退して吸収していたため、一発撃つごとに大砲が動いてしまうという欠点があった(そのため、一発撃つごとに元の位置まで戻す必要があった)。しかし、砲身後座方式の採用によって大砲が射撃によって動く事が無くなり、連射時間の大幅な短縮と、観測射撃における精度の飛躍的上昇を引き起こした。特に後者は重要な革新であった。
- 注2:開脚式砲架
- 射撃時、角度を着けた砲身がじゃまにならないよう大砲を設置するときに砲架の足を開いて地面に固定する砲架のこと。それまでの砲架の足は射撃時の反動を受け止めやすいように砲身と平行に設置されていたが、それ故に射角を大きく取ることは出来なかった(仮に大きく取った場合、砲身と砲架がぶつかることになる)。そこで砲架の足を2本とし、設置時には角度を着けて地面に固定するようにしたのである。これによって砲身の下がクリアになり、高角度での射撃が可能となった。結果、野砲の大幅な射程の増大が行われることとなった。
とはいうものの、当時の陸軍は(野砲の生産設備を持つことには成功したものの)残念ながら新野砲の設計を自力で行うだけの技術力を持たなかった。そのため、次世代野砲の開発には、必然的に外国へ頼るしか方法がなかった。
だが、時代は第一次世界大戦の真っ最中であり、国家総力戦を戦っている欧米諸国で自国の安全を放り出してまで日本のために大砲を設計・生産してくれる国がいるはずもなかった。
幸いなことに、第一次世界大戦で日本が欧米諸国と大規模な砲撃戦を交わす機会は無かったため深刻な事態には至らなかったが、日露戦争の体験と第一次世界大戦の研究により火力の強化は認識され続けていた。
しかし、第一次世界大戦は様々な新兵器が大規模に投入された事もあり、軍事技術の自立を目指す必要から戦後はこれらの兵器の研究開発も行わなければならなかった。
さらには、海軍の大規模な艦隊整備計画(いわゆる八八艦隊計画)もあり、陸軍の野砲関連の予算は大幅に制約を受け続け、新規火砲の整備計画は完全に棚上げとなってしまう。
最終的には、世界中に広まっていた軍縮への気運や、明確な仮想敵国の消滅(ロシア帝国は崩壊していた)がこれを後押しし、火砲の充実は(宇垣軍縮を始めとするいくらかの軍備整理により)根幹となる研究をするだけでその後を長く過ごすこととなった。
■九〇式野砲の採用 −その経緯−
こうして、新規火砲の設計・生産は長期にわたって停滞していたが、大正14年(1925年)になるとさすがに旧式化していた三八式をこれ以上使用し続けるわけにはいかず、陸軍は開脚式砲架を採用した新型砲の整備を模索し始める。
とはいうものの、相変わらず自国でこれといった火砲を設計できない(注3)陸軍は、緒方勝一砲兵中将(当時)を中心とする視察団を欧米に派遣して適当な火砲の設計を依頼する事にした。
この過程で陸軍はフランスのシュナイダー社の提案する75ミリ級火砲に目を付ける。
当時のフランスは大戦でドイツを破ったことから陸軍先進国と考えられており、かつ武器の販売を積極的に行っていた。
そして、幾度かの折衝の後に陸軍はこの砲を採用することにした。
こうして陸軍はフランス設計の最新型野砲を手に入れたのであるが、日仏における砲運用の差違(注4)からそのまま仏式砲を採用するには多少不具合があり、いくつか手直しの後に採用することとなった。
こうして完成したのが後の太平洋戦争で活躍することになる『九〇式野砲』である。
- 注3:自国でこれといった火砲を設計できない
- 当時、陸軍とは違って海軍は有力な火砲を設計・生産できる技術力があったが、これは人馬で引っ張らざるを得ない陸軍と違いシステム重量をそれほど気にしなくてもいいことが根底にあった。また、陸軍のようにけた外れに生産しなくてもよいという事実も大きかった。
- 注4:日仏における砲運用の差違
- 日本陸軍の想定戦場は煤塵の激しく交通網の発展していない中国大陸であり、一方のフランス陸軍のそれはインフラの進んだ欧州であった。そのため、保守その他の点でいろいろと問題が発生した。
■九〇式野砲の技術的特徴 −九五式野砲との確執−
まず挙げられる九〇式野砲の特徴は
1、基本的にフランスのシュナイダー社によって設計された火砲であること。
2、日本で初めて砲口制退機(マズルブレーキ)を採用したこと。
3、砲身に単肉自緊砲身を採用したこと。
4、開脚式砲架と打ち込み式の駐鋤を採用したこと。
である。
特に2から4の特徴は重要で、ようやく世界レベルの砲を採用することが出来たということでもあった。
また、射程もそれまでの三八式に比べて六割以上も向上し、14000メートルを有する長射程を得た(改造三八式野砲と比べても三割の向上である)。採用の翌年(1931年)に起こった満州事変で火砲は射程が長いほど良しとする戦訓を得たこともあり、同砲の前途は明るいものであると思われた。
しかし、満州全土の制圧は陸軍に野砲の運用ドクトリンをふらつかせることになる。参謀本部は重く機動に難点のある九〇式ではなく、起伏に富む満州国境で運用を主眼においた軽量な新野砲の開発を開始してしまうのである。これが九〇式野砲の五年後に採用された九五式野砲である。
参謀本部は、三八式と比べて三〇〇キロ近く重量が重い事から九〇式野砲が機動性に劣るため攻勢に適さないと強く主張した。
一方、砲兵学校や実戦部隊の砲兵は射程こそが最も砲に求められるもので、これあれば機動力の低下は十分以上に補えると主張し、一歩も引き下がらなかった。
事態を深刻なものに変えたのは日本の防衛政策が外地での積極的迎撃におかれていたことだった。敵軍の上陸可能な場所が即経済的重要地であるため、縦深陣地をひいての本土決戦を行えなくしていたためである。戦時に継戦を行うには生産力を維持しなければならず、どうしても本土の安全を死守する必要があった。
こうして採られることとなった積極迎撃だが、それも自軍が相手よりも自由に移動できねば成り立たない。
そして、人馬以外の牽引手段を手配する事は困難という現実が存在した。
機動力の低下に直接関わる兵器の重量増はどうしても避けねばならないものと考えられていたという切実な問題があったのである。
問題が戦略の根幹に関わる深刻なものであったため簡単に割り切ることが出来ない事が事態を深刻にしたものの、結局陸軍上層部は九〇式を採用する一方で、三八式野砲と射程は同程度でより軽量化した九五式野砲を別に製作させることで両者の対立を避けさせた。
そして、九〇式の初陣となったノモンハン事件においての対砲兵戦でソ連砲兵隊に射程外から一方的攻撃をうけ敗北したことで、多少の機動で射程差を補うことは不可能であるとの結論が導き出された。とはいうものの、九〇式野砲の重量問題は深刻であり、結局同砲を機械化砲兵に重点的に装備させ、さらには機械化自体を進めるすることで解決を図ろうとした。
だが、日中戦争の泥沼化によって既存兵器の増産を計らねばならない一方で、各種諸装備の新規改変を簡単に行えるはずもなく、最終的には太平洋戦争の勃発によって兵器行政は混乱したまま終戦を迎えることとなる。結果、九〇式野砲は最後まで本格的な生産に移行することは出来なかった。
■九〇式野砲の実績 −その戦果−
九〇式野砲は、太平洋戦争の中で最も活躍した陸軍野砲であることは間違いない。
戦争後期、フィリピン戦におけるサクラサク峠の戦闘では、九〇式野砲を搭載した少数の一式七センチ半自走砲が米軍を悩ませたことはよく知られている。
また、タイヤを取り付け機動化された機動九〇式野砲が本土決戦を控えた戦車師団に集中配備されたことも、有効性が信じられていたからであろう。
さらには、日本陸軍はこの砲を戦車砲にまで転用し、三式砲戦車、三式中戦車に搭載した。
これは、同野砲が世界レベルに互する能力を持っていることをよく表している。
しかし同時に、当時の日本陸軍における主力火砲が純国産兵器でなかったことも、併せて憶えておくべきであろう。
軍事的に自立を目指した日本。その国の主力火砲が国産兵器でなかったのは、紛れもなく事実なのであるから。
参考文献:「大砲入門」
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